この間、残業代が加算されてませんでした。せつない。
どうもぶっくはっかーです。
今回レビューするのは、以前茂木さんの「せつなさ」に関する寄稿の乗っていたのと同じ雑誌に掲載されている、劇団ひとり氏のおもう「男のせつなさ」に関する文章。
あれから、切ないに関する語源を調べてみたところ、
切ないの「切」は、心が切れるほどの思いを意味し、「切なる思い」や「切に願う」など、「親身なさま」を表す言葉としても用いられる。
とのことでした。
かなり身体性のたかい言葉であるようです。
身に迫る言葉といった感じでしょうか。
劇団ひとり氏は、自分にとってのせつなさを等身大の文章で、自分の体験談を主軸にして語っています。
彼の言うせつなさには「かっこいい」の概念が大きくかかわっている。
まず彼が言うには、「カッコイイ」は男の免罪符であるという。そして、その免罪符を用いないといけない、ことはせつなく、また切ないという言葉を用いることによって「カッコ悪さ」から掬いあげているようなところがあるという事です。
どういうことかというと、たとえば一番は当然かっこいい。そいつのライバルは、一番になれないが一番の奴と全力で競っているからかっこいい。その他大勢の奴は、そいつらを縁の下で支えているからかっこいい。
そういったように、何らかの理由を付加することによって、各々の立ち位置に理由を見出すと同時にそのポジションで切ないながらも、全力を尽くしているその姿、それがかっこいいという事らしいです。
これは深いと思いました。
見方によっては、滑稽にうつることでも客観性を排して主観的に物事を見れば、切ない出来事になりうる。
他人に寄り添う事が出来る人間はこうした「せつなさ」を感じる能力も必然的に高いのではないでしょうか。
往々にしてトップに立つ人間は、他者の「せつなさ」が見えないものです。なぜなら、客観性ばかりを重視する(数値を重視する)のみにとらわれていては、決して見えてこない視点だからです。こうした他者のせつなさを理解し、それを当人と共有できる人間というのは人から信頼されるだろうなと思います。
また彼は、自身が芸人をしていてあじわった「せつなさ」についても語っています。
これは、ぜひ皆さん自身で読んでみて下さい。
茂木健一郎氏とは、また一味ちがう主観的な「せつなさ」。
優れた観察眼を持つ劇団ひとり氏が味わうせつなさの世界は、共感能力の重要性を認識させてくれる。
BRUTUS (ブルータス) 2010年 11/1号 [雑誌]
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日常であまりセツナイという言語を、他者との会話ではもちろん内的な言語としても用いる機会がないおれっちにとっては、「せつない」という概念を見直すいいきっかけになったように思う。
みなさんもぜひ、「せつない」という感情をいまいちど自分の中に探してみてほしい。
あともう一つくらい、同じ雑誌の中から書評を書くかもです。
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